ベナンのコトヌーのたけし日本語学校へ訪問!ベナン人学生に学んだこと!
自転車でアフリカ大陸を旅してました、冨田隊長です。今回は自転車の旅の最終目的地に設定していたベナンのコトヌーにあるたけし日本語学校へ訪問した時のことを書いてみたいと思います。たけし日本語学校は20年前から日本で活躍しているゾマホン氏が設立した西アフリカ唯一の日本語専門校です。そしてここの生徒が凄かった!
西アフリカ唯一のベナンにある日本語専門学校「たけし日本語学校」へ行く!
今回は、西アフリカにある小国ベナンが舞台です。
ベナンってどこにあるかわかりますか?
あ、名探偵じゃありませんからね。(笑)
ベナンは西アフリカのここにあります。
(ピンはベナンのコトヌーに刺してます)
で、このベナンはご存知の方が多いのか少ないのかわかりませんが、ゾマホンさんの故郷なんですね。
え?ゾマホンさんを知らない?
(討論番組『ここがヘンだよ日本人』に出演するゾマホンより参照)
知ってください!(笑)
実は自分はこの伝説的番組である「ここが変だよ日本人」をリアルタイムで見ていた少年でした。(笑)
当時発売された「ゾマホンの本」も購入しましたよ!
(当時発売された「ゾマホンの本」は本の印税を全てたけし小学校建設費用に充てられた)
それで今回、この番組で大ヒットしたゾマホンさんの学校へ行きたいと思いアフリカ旅を決意したほどなんですけど、まぁそこの自分の話は置いといて。
このゾマホンさんが作ったたけし日本語学校という西アフリカで唯一の日本語専門学校がベナンのコトヌーにあるわけです。
このたけし日本語学校で出会った、予想を遥かに上回る熱いベナン人学生に出会ったお話をしたいと思います。
【行き方情報】ベナンのコトヌーにあるたけし日本語学校の行き方
アフリカ大陸でユニークな体験をさせてもらったベナンのたけし日本語学校へぜひ訪問して欲しいのでたけし日本語学校までの行き方を簡単に紹介しておきます。
ベナンは日本人が渡航するのであれば事前にビザの取得が必要なので日本もしくは周辺国で取得する必要があります。
日本にあるベナン大使館だと8,000円でベナンビザが取得可能。
周辺国で取得する場合、隣国のトーゴが最も安いです。(2018年3月現在)
ベナンビザ@トーゴ:10,000 CFA(2,000円) 15日有効マルチプル
ビザ情報はこれくらいにして学校への行き方です!
たけし日本語学校はベナン最大の街コトヌーにあります。
(おおよその場所はこの薬局の近くにある橋の脇から200mほど)
たけし日本語学校はコトヌー市内の中でもスラム地区にあたる「サンテ=リタ Sainte-Rita」という地区にあります。
ベナンではバイクタクシーが市民の足となっているのでどこでも呼び止めれます。
現地人はバイクタクシーのことをゼミジャンと呼んでいます。
たけし日本語学校へ行くにはこのゼミジャンを利用します。
たけし日本語学校の目印は「fifadji(フィファジ)」と呼ばれる橋!
(たけし日本語学校の石田先生曰くこの橋は中国製らしいです)
ゼミジャンのドライバーに行き先を「Pont de Fifadji(ポント デ フィファジ)」と言えばわかってもらえます。
(「Pont de Fifadji(ポント デ フィファジ)」とはフィファジの橋と言う意味)
降ろしてもらう場所は橋の東側がいいです。
東はest(エスト)です。(上の写真は橋の東側から撮影したもの)
橋の脇にはしっかりとたけし日本語学校を運営しているIFE団体の看板もありました。
この橋の脇から200mほど未舗装の道を歩くとあります。
(橋の脇を曲がると一気に途上国な雰囲気です)
橋から200mほど歩くと左手に日本の国旗が!
たけし日本語学校の表札にはしっかりとゾマホンと書かれた表札がありました。(笑)
学校周辺の子供達は「こんにちは〜」と挨拶してくれる何とも温かい場所です。
アフリカ人が日本へ留学する道は半端ない!
前置きなんですが、これまでいくつかのボランティア団体が運営する教育活動に参加したことがあります。
そのほとんどの団体の活動の対象となるのは小さな子供達(6歳〜15歳くらい)がメインな印象がありました。
従って、たけし日本語学校の生徒たちもこれまで経験してきた団体が対象としている年齢と同じくらいだと思ってたんですが、聞いてみてビックリ!
下は6歳くらいから上は60歳くらいまでの生徒(入学に年齢制限なし)が同じ教室で日本語を学んでいるそうです。
そんな年配の人が日本語を学ぶんだ〜という驚きの感想でした。
そしてさらに凄いのが2018年3月現在、既に300人近くのベナン人がたけし日本語学校へ入学したいと希望しており、入学待ち状態だそうです。
日系企業が今のことろ一つもないベナンでですよ?
すごくないですか?
ベナン人の間で日本語のニーズがあることにビックリするのと同時に日本人として嬉しい限りですよね。
今回、たけし日本語学校で日本語教師をされている石田先生にたけし日本語学校のことについて尋ねてみました。
やっぱり一番気になるのが日本語を勉強しているベナン人の目的とその後。
実際、ベナンで日本語を学ぶことでどう人生に影響があるのか気になったので聞いてみました。
学校で勉強しているベナン人達の多くは日本へ留学するために勉強を行なっているそうです。
なぜなら2018年3月現在、ベナンに日系企業は一つもありませんから、ベナン国内で日本語を使う機会はほぼ皆無です。
でも想像通りで、一般のベナン人が日本に留学するには半端ない努力と金銭面での運が必要だそうです。
彼らにとっては日本語を勉強するだけではなく、金銭面も大きな壁なんですよね。
ベナン人が日本へ渡航するにはビザが必要なうえに保証人となる学校への入学金、日本とベナンの航空券などお金がとにかくかかるんですね。
ベナン人の彼らが日本へ留学できる条件は修羅!
日本語を勉強して政府に認められたベナン人のみが貰える国からの奨学金で日本へ留学するのみ!という狭き門が現実だそうです。
詳しい年齢は聞いてませんが、国の奨学金が貰える年齢には制限があるようで、その年齢に逹する時もしくはその前にリタイアしてしまって、ほとんどの生徒は日本へ行くことができないそうです。
ベナン人と日本語で会話したら凄い印象的だった!
それで今回、ベナンのたけし日本語学校の記事を書こうと決めたのはここからなんです。
ベナン人が日本語を学んで日本語を生かす生活をする(日本へ留学する)状況になるにはスッゴイ難しいことなんですよね。
そして合理的に考えると日本語を勉強するよりベナンの公用語であるフランス語を勉強する方が彼らにとっては有利なんですよ。
フランス語が流暢にできればベナンにおいてはまだマシな方になるわけで。
それに日本へ留学できなかった場合、日本語を活用させる場所がベナンにはまだないですからね。
そんな結果だと知っていてもたけし日本語学校へ入学希望するベナン人は後を絶たないそうです。
先ほども言ったように300人のベナン人が入学待ち状態だそうです。
ヤバいですよね!
でもヤバイなと思ったのはこれだけじゃありませんでした!
数字上の話や将来の話だけがこの学校の凄さじゃない!
今回、たけし日本語学校を訪れた時に何人かのベナン人学生と話してみました。
そのうちの一人、日本語を学んでよかったと話すベナン人元生徒だったジェラードさんと話す機会がありました。
彼との会話がすごい印象的だったのでたけし日本語学校の話を書いてみようと思ったわけなんですけど。
ジェラードさんはすでにたけし日本語学校を卒業していて、現在はたけし日本語学校運営側として活躍しているベナン人です。
日本にも短期で2回ほど渡航経験があるそうです。
そんな彼とアフリカの政治や日本語のことをあれこれ雑談してたんですが、ジェラードさんが持つ日本語の印象が凄く印象的でした。
彼は日本語を勉強したことで考え方が変わったと言ってました。
具体的に何がかわったのか尋ねてみました。
彼は日本語の中で「おかげさま」という言葉が好きと言ってました。
そして「おかげさま」という言葉を知ってから、その意味を理解して生活してみると考え方が変わったと言ってました。
ちょっと話を進める前に「おかげさま」という言葉をgoogle先生に尋ねてみましょう。
google先生の言葉はちょっと難しいですね。
簡単に言うと周りのものに感謝する気持ちだと思います。(笑)
でも、この気持ちって確かに大事だよな~と。
アフリカ大陸をこれまで旅してきて「おかげさま」と考えながら行動しているアフリカ人がどれくらいいるだろうと考えてみました。
賄賂に強引な料金請求も確かにあったしなぁ。。。
「おかげさま」精神が思い当たりませんでした。(笑)
いや正確に言えば、助けてくれたアフリカ人も多くいたので、全員が「おかげさま」精神がないわけじゃないです。
しかしながら少数なのは明白です。
そんな環境下で、ベナン人のジェラードさんが「おかげさま」という言葉を意識して生活するようになって考え方が変わったというのは納得できるんですよね。
ベナンってアフリカ大陸の中でも小さな国で世界でみるとほぼ無名に近い国なんですが、そんな小さな国からでも少しずつ人間の考え方が変わっていくと面白いことが起きるんじゃないかなとこの会話から期待できました。
それと同時にやっぱり日本語ってすごいいい言語なんだと改めて思ったりも。(笑)
まとめ
たけし日本語学校ができたことでベナン人に少しづつですが、変化があると面白いなと思いました。
ベナンや多くのアフリカの国々は国家元首や官僚が汚職まみれで腐敗している社会がほとんどです。
でもアフリカの社会にも「おかげさま」精神が浸透するとアフリカが本当に変わるんじゃないかなと。
しかしながら、ジェラードさんと話してて、アフリカの発展は一筋縄ではなくかなり複雑だという現実を知りました。
ベナンはそんなことを考えさせてくれる場所でした。
そんじゃ、また。
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