【西サハラ問題】非自治地域の西サハラのラユーンを訪れて!砂の壁の歴史と現在!
ただいまアフリカ大陸の北西部にある非自治地域の西サハラを自転車で旅してます、冨田隊長です。今回は、世界で最も大きな非自治地域となっている西サハラについてです。ひと昔の世界地図を見れば西サハラは白抜き、もしくは灰色塗りなど、他の国とは別の色で区別された地域になってました。今回、最大の街ラユーンを訪れて感じた、リアルな西サハラと歴史について紹介します。
西サハラとモロッコの領土問題
今回はアフリカ大陸北西部にある西サハラという地域です。
ここ重要なんですが、西サハラという地域です。
あえて、地域と今回は呼びたいと思います。
なぜか??
国際的に明確な国が定められていない地域だからです。
もっと細かく言うと西サハラという国は今のところ日本は国として承認していないからです。(2017年現在)
西サハラの正式名称はサハラ・アラブ民主共和国ですが、事実、国として承認されているのは国連加盟国の半数以下なんですね。
世界地図が手元にあったらアフリカ大陸北西部にある西サハラの地域を見てみてください。
もしかしたらモロッコと併合しているか、点線でモロッコと国境が引かれている地域だと思います。
これがいわゆる非自治地域というやつなんですね。
今回は、この非自治地域を巡る西サハラの首都と定められているラユーンを実際に訪れて感じた西サハラの歴史と現在を紹介したいと思います。
さて、内容がとっても真面目ですから、すごく硬い文章になってしまいそうなので、アラブ人キャラクターと一緒にざっくばらんに紹介していきましょう。
いやいや、
ところで、「チュニジアイミグレ」なんて名前で進めるのは愛嬌がないので、名前を教えてもらえますか?
サラ!いい名前!
西サハラ問題について教えてください。
大丈夫です、そんな影響力のあるすごいサイトじゃないですから。(苦笑)
西サハラ地域が非自治地域と呼ばれるようになった経緯
ここからはアフリカの歴史をちょっとだけ勉強する必要があります。
それではサラお姉さん、お願いします。(笑)
知ってましたか?
アフリカの北西部の大部分は100年前まではフランスの植民地だった!
アフリカ大陸の北西部のほとんどはフランスの植民地だったんです。

Wikipedia「アフリカ分割」のページより。
確かに、西サハラの部分だけフランス領ではなく、スペイン領になってますね。
このスペイン領だったという事実が西サハラ問題の要素でもあるんです。
【西サハラの歴史を知る】モロッコによる緑の行進!
話をアフリカ大陸北西部から、西サハラ周辺のみに絞っていきましょう。
緑の行進が行われた1975年の西サハラ周辺はこんな感じでした。
アフリカ大陸の多くの国々は第二次世界大戦後にヨーロッパの支配力が弱まると次々に独立していきました。
でも西サハラを支配していたスペインのみが浮島状態で残ってたんですね。
そして時代は緑の行進によって動いていきます。
緑の行進とは何ぞやって人のためにこちらの補足を加えておきます。
【西サハラの歴史を知る】スペインのマドリード協定により西サハラはモロッコとモーリタニアの南北分割地へ!
緑の行進の次に起こった、重要な要素がマドリード協定です!
マドリード協定によって西サハラの国際情勢は大きく変化しました。
マドリード協定により西サハラ地域はモロッコとモーリタニアの南北分割地へと変わっていきます。
マドリード協定について補足を加えておきます。
ここでちょっと待った!!!と叫ぶ人たちがあわられます。
【西サハラの歴史を知る】西サハラ現地民(ポリサリオ戦線)によるサハラ・アラブ民主共和国の樹立!
西サハラ問題の主役の登場です。
サハラ・アラブ民主共和国を樹立したポリサリオ戦線と呼ばれる人たちについて。
ポリサリオ戦線について補足しておきます。
サハラ・アラブ民主共和国ってあまり聞かないですよね?
サハラ・アラブ民主共和国についても説明を加えておきます。
変な話、日本の隣にある台湾よりもサハラ・アラブ民主共和国を国として承認している国の方が多いんです。
台湾はご存知、中国の圧力により国家承認されない背景があります。
サハラ・アラブ民主共和国はモロッコとの関係によるものです。
【西サハラの歴史を知る】西サハラを分断する鉄線と地雷原の砂の壁!
現在はサハラ・アラブ民主共和国と西サハラはどんな関係になってるんですか?
なんだか戦国時代のような三つ巴合戦ですね。
モーリタニアが領土を放棄したことで、サハラ・アラブ民主共和国も正式な領土ができたわけですね。
やはり国力の違いが大きかったんですね。
モロッコの軍隊だけでサハラ・アラブ民主共和国の総人口を上回っていたという話ですからね。
最後のキーワード砂の壁について補足しておきます。
つまり現在の西サハラには砂の壁と呼ばれる実質かつ物理的な国境ができているんですね。
でもポリサリオ戦線は砂の壁を乗り越えてゲリラ戦をするのでは?
今後はどのような方向に向かうんでしょうか。
2017年現在の実質的な国境策定。
(赤:モロッコ領 緑:モーリタニア領 青:サハラ・アラブ民主共和国領)
なるほど、それが今の西サハラ問題になってるんですね。
あ!私は何も知りませんからね。以上です。おっほん。
今めっちゃ気になるワードが飛び出て来たけど・・・(笑)
兎にも角にも、勉強になりました。
サラ、ありがとう〜!
実際に西サハラの首都と呼ばれるラユーンを自転車で訪れた
ここからは自転車で実際に西サハラ最大の街で、サハラ・アラブ民主共和国の首都と指定しているラユーンの街を回った感想です。
ここまでの話で何となく察してるとは思いますが、ラユーンの街は普通に他と変わらないモロッコの街でした。
でもやっぱりラユーンには特徴はあるんですよ。
それは何か!
軍隊がめちゃめちゃ駐屯している!
西サハラ問題の首都とも言えるラユーンはモロッコとサハラ・アラブ民主共和国の双方にとって重要な場所ですからね。
当然と言えば当然ですね。
軍隊がいるから危ないのか?
いいえ、旅行者には全く危険なことはありません。
ただ検問が多くなるくらいです。
でもモロッコの警察は本当に優しい人が多いので、笑顔で対応すれば大丈夫です!
これは自分の経験から確信して言えます!
だって、モロッコの警察からご飯をご馳走になったり、夜走ってたら自転車を護衛してくれたり、そのまま次の街まで連れてってくれたり、本当に優しい人たちが多いです。
こんなに警察が優しい国なんて他にないっすね。(笑)
ラユーンの街の特徴その2!
街の建物がピンク一色!
モロッコの有名な観光地シャウエンは青一色の街で有名ですよね。
それと同じようにラユーンの街はピンク一色なんです。
サハラ砂漠の砂の色に合わせたカラーなのかな?
ピンク色のラユーンの街はオススメですよ!
非自治地域の西サハラからモーリタニアへ国境を越える
ラユーンの訪問を終え、サハラ砂漠へ突入しました、冨田隊長です。
それでは続きをどうぞ。
もう失敗しないぞ!w
チュニジアで失敗した話はこちらからどうぞ。(笑)
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モーリタニアとの国境には鉄線と数万発の地雷が埋設されているのでご注意してくださいね。ふふふ
そりゃ、入国拒否より怖いっす、お姉さん。。。汗
まとめ
はい!
最後の下りはコミカルにしましたが、実際西サハラとモーリタニアの国境はポリサリオ戦線との緩衝地帯を通過しなければならないので、本当に注意が必要です。
西サハラ問題について調べてみましたが、モロッコ、モーリタニア、そして当事者のポリサリオ戦線の歴史、色々ありますね〜。
未承認の地域で暮らす人々はどんな生活を送っているのか非常に興味があります。
治安問題もあるので簡単に行けないのが残念ですが、機会があれば行ってみたいです!
そんじゃ、また。
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