【西サハラ問題】非自治地域の西サハラのラユーンを訪れて!砂の壁の歴史と現在!

2018年5月7日

ただいまアフリカ大陸の北西部にある非自治地域の西サハラを自転車で旅してます、冨田隊長です。今回は、世界で最も大きな非自治地域となっている西サハラについてです。ひと昔の世界地図を見れば西サハラは白抜き、もしくは灰色塗りなど、他の国とは別の色で区別された地域になってました。今回、最大の街ラユーンを訪れて感じた、リアルな西サハラと歴史について紹介します。

西サハラとモロッコの領土問題

今回はアフリカ大陸北西部にある西サハラという地域です。

ここ重要なんですが、西サハラという地域です。

あえて、地域と今回は呼びたいと思います。

なぜか??

国際的に明確な国が定められていない地域だからです。

もっと細かく言うと西サハラという国は今のところ日本は国として承認していないからです。(2017年現在)

西サハラの正式名称はサハラ・アラブ民主共和国ですが、事実、国として承認されているのは国連加盟国の半数以下なんですね。

世界地図が手元にあったらアフリカ大陸北西部にある西サハラの地域を見てみてください。

もしかしたらモロッコと併合しているか、点線でモロッコと国境が引かれている地域だと思います。

これがいわゆる非自治地域というやつなんですね。

今回は、この非自治地域を巡る西サハラの首都と定められているラユーンを実際に訪れて感じた西サハラの歴史と現在を紹介したいと思います。

さて、内容がとっても真面目ですから、すごく硬い文章になってしまいそうなので、アラブ人キャラクターと一緒にざっくばらんに紹介していきましょう。

チュニジアイミグレ
アラブ人キャラクターに聞くのはいいですけど、チュニジアと西サハラ問題は関係ありませんよ。

いやいや、(せっかくイラレ使って作ったんだからw)まぁそう言うわずに聞いてもいいじゃないですか。(笑)

ところで、「チュニジアイミグレ」なんて名前で進めるのは愛嬌がないので、名前を教えてもらえますか?

サラ
私の名前はサラです。日本語ではプレートの意味なんですね。ふふふ

サラ!いい名前!

西サハラ問題について教えてください。

サラ
その前にチュニジアは全く関係ないですからね。誤解されないように言っておきますが。

大丈夫です、そんな影響力のあるすごいサイトじゃないですから。(苦笑)

西サハラ地域が非自治地域と呼ばれるようになった経緯

ここからはアフリカの歴史をちょっとだけ勉強する必要があります。

それではサラお姉さん、お願いします。(笑)

サラ
まず西サハラを知るのであればアフリカ大陸の歴史を知る必要があります。

知ってましたか?

アフリカの北西部の大部分は100年前まではフランスの植民地だった!

アフリカ大陸の北西部のほとんどはフランスの植民地だったんです。

ヨーロッパ列強によるアフリカ分割

Wikipedia「アフリカ分割」のページより。

サラ
この植民地時代の影響が今の西サハラ問題に繋がってます。よく見てください。西サハラの部分。

確かに、西サハラの部分だけフランス領ではなく、スペイン領になってますね。

このスペイン領だったという事実が西サハラ問題の要素でもあるんです。

サラ
西サハラ問題を知るなら、重要なキーワードは「緑の行進」「マドリード協定」「ポリサリオ戦線」そして「砂の壁」だと思います。

【西サハラの歴史を知る】モロッコによる緑の行進!

話をアフリカ大陸北西部から、西サハラ周辺のみに絞っていきましょう。

サラ
西サハラ問題に繋がる最初の一歩はモロッコによる緑の行進です。

緑の行進が行われた1975年の西サハラ周辺はこんな感じでした。

西サハラ問題!西サハラ地域の激動!

アフリカ大陸の多くの国々は第二次世界大戦後にヨーロッパの支配力が弱まると次々に独立していきました。

でも西サハラを支配していたスペインのみが浮島状態で残ってたんですね。

そして時代は緑の行進によって動いていきます。

緑の行進とは何ぞやって人のためにこちらの補足を加えておきます。

【緑の行進の豆知識】
1975年11月6日午前10時40分、35万人のモロッコ人がモロッコ南端にあるタリファーヤの街を出発し、当時スペイン領サハラ(現西サハラ)との境界を越え「この地は王様のものだ!」と叫んだデモ行進。砂塵の中をコーランと当時のモロッコ王ハッサン2世の肖像を掲げ行進しました。緑とはイスラムの象徴カラーからきています。
サラ
緑の行進を行った1975年当時のスペインは国内の政治が乱れていた関係もあり、当時スペイン領サハラを放棄する方向でモロッコとモーリタニアと話を進めたのです。

【西サハラの歴史を知る】スペインのマドリード協定により西サハラはモロッコとモーリタニアの南北分割地へ!

緑の行進の次に起こった、重要な要素がマドリード協定です!

サラ
マドリード協定とは名前の通りスペインに関係する取り決めです。先ほど説明したモロッコによる緑の行進が起こったことでスペインが西サハラ地域を統治するのが困難になった結果です。

マドリード協定によって西サハラの国際情勢は大きく変化しました。

西サハラ問題!マドリード協定により西サハラは南北分割

マドリード協定により西サハラ地域はモロッコとモーリタニアの南北分割地へと変わっていきます。

マドリード協定について補足を加えておきます。

【マドリード協定の豆知識】
1975年11月14日にスペインと西サハラの領土を主張するモロッコとモーリタニアの三ヵ国によって取り決められた協定。スペインは西サハラ地域を放棄し、その後はモロッコとモーリタニアによる南北分割統治するという内容です。

サラ
一見、マドリード協定によって西サハラはモロッコとモーリタニアの分割統治で落ち着きそうな内容ですよね。でもここからが西サハラ問題の始まりなんです。

ここでちょっと待った!!!と叫ぶ人たちがあわられます。

【西サハラの歴史を知る】西サハラ現地民(ポリサリオ戦線)によるサハラ・アラブ民主共和国の樹立!

西サハラ問題の主役の登場です。

サハラ・アラブ民主共和国を樹立したポリサリオ戦線と呼ばれる人たちについて。

サラ
マドリード協定を批判した人たちがいるんです。それが今のサハラ・アラブ民主共和国を作っているポリサリオ戦線と呼ばれる人たちです。

ポリサリオ戦線について補足しておきます。

【ポリサリオ戦線の豆知識】
スペイン統治時代から西サハラの地に住んでいた住民が、アルジェリアの首都アルジェにて独立宣言を行って作られたサハラ・アラブ民主共和国を主張する解放戦線の組織。背景にはアルジェリアの支援がある武力集団で、現在はアルジェリア西部にあるティンドゥフ(Tindouf)という街が拠点になってます。

サハラ・アラブ民主共和国ってあまり聞かないですよね?

サラ
現在のサハラ・アラブ民主共和国はアルジェリアに首都機能が存在する亡命政府となってますが、世界の他にある亡命政府とは違って多くの国々から正式に国として承認されている政府なんです。

サハラ・アラブ民主共和国についても説明を加えておきます。

【サハラ・アラブ民主共和国の豆知識】
世界50カ国以上の国々から国として承認されているサハラ・アラブ民主共和国。ほとんどがアフリカと中米の国々が承認してます。日本やアメリカなど先進国はモロッコとの関係があるのでサハラ・アラブ民主共和国を国として承認していません。

変な話、日本の隣にある台湾よりもサハラ・アラブ民主共和国を国として承認している国の方が多いんです。

台湾はご存知、中国の圧力により国家承認されない背景があります。

サハラ・アラブ民主共和国はモロッコとの関係によるものです。

サラ
この事実を知ると、なんだか規模が違うだけで、どこの世界でも談合社会って感じですね。

【西サハラの歴史を知る】西サハラを分断する鉄線と地雷原の砂の壁!

現在はサハラ・アラブ民主共和国と西サハラはどんな関係になってるんですか?

サラ
マドリード協定が締結した後、西サハラにはモロッコとモーリタニアが南北分割統治する事になりました。でもポリサリオ戦線が黙ってなかったんですね。

なんだか戦国時代のような三つ巴合戦ですね。

サラ
ポリサリオ戦線はまず南側を統治していたモーリタニアをゲリラ戦で攻めました。この結果、ポリサリオ戦線は勝利し、1979年にモーリタニアは西サハラを放棄する事となったのです。

モーリタニアが領土を放棄したことで、サハラ・アラブ民主共和国も正式な領土ができたわけですね。

西サハラ問題!西サハラは戦国時代のような情勢へ

サラ
サハラ・アラブ民主共和国に正式な領土ができたと思いましたが、歴史はそうはさせません。モーリタニアが放棄した南側の西サハラ地域を国力があったモロッコが実効支配する事になりました。

やはり国力の違いが大きかったんですね。

モロッコの軍隊だけでサハラ・アラブ民主共和国の総人口を上回っていたという話ですからね。

サラ
そして最後の重要キーワード、砂の壁です。砂の壁は現在の西サハラを分断している実質的な国境の役目を果たしています。

最後のキーワード砂の壁について補足しておきます。

【砂の壁の豆知識】
ポリサリオ戦線と対立するモロッコが、ポリサリオ戦線のゲリラ攻撃から沿岸主要都市を防衛する目的で作られた防御壁。サハラ砂漠の砂を高さ数メートルに積み上げて作ったもので、その周辺は鉄条網と地雷で防御されています。砂の壁は6段階に分けて建設され、壁で防護された範囲はモロッコ近くの北部からモーリタニアとの国境まで2,000キロに及ぶ長さで繋がっています。

つまり現在の西サハラには砂の壁と呼ばれる実質かつ物理的な国境ができているんですね。

でもポリサリオ戦線は砂の壁を乗り越えてゲリラ戦をするのでは?

サラ
1980年代後半までモロッコとポリサリオ戦線の戦いが続きましたが、国連の協力を得て、現在は停戦条約を厳守しています。

今後はどのような方向に向かうんでしょうか。

サラ
西サハラの領土を巡る問題は住民投票によって「モロッコとの併合か独立か」を選択するという話まで進んだのですが、いまだに実現していない状態です。

2017年現在の実質的な国境策定。

西サハラ問題!西サハラの砂の壁!
(赤:モロッコ領 緑:モーリタニア領 青:サハラ・アラブ民主共和国領)

なるほど、それが今の西サハラ問題になってるんですね。

サラ
この問題の鍵を握るのは亡命政府が存在するアルジェ・・・。
あ!私は何も知りませんからね。以上です。おっほん。

今めっちゃ気になるワードが飛び出て来たけど・・・(笑)

兎にも角にも、勉強になりました。

サラ、ありがとう〜!

実際に西サハラの首都と呼ばれるラユーンを自転車で訪れた

ここからは自転車で実際に西サハラ最大の街で、サハラ・アラブ民主共和国の首都と指定しているラユーンの街を回った感想です。

ここまでの話で何となく察してるとは思いますが、ラユーンの街は普通に他と変わらないモロッコの街でした。

でもやっぱりラユーンには特徴はあるんですよ。

それは何か!

軍隊がめちゃめちゃ駐屯している!

西サハラ問題の首都とも言えるラユーンはモロッコとサハラ・アラブ民主共和国の双方にとって重要な場所ですからね。

当然と言えば当然ですね。

軍隊がいるから危ないのか?

いいえ、旅行者には全く危険なことはありません。

ただ検問が多くなるくらいです。

でもモロッコの警察は本当に優しい人が多いので、笑顔で対応すれば大丈夫です!

これは自分の経験から確信して言えます!

だって、モロッコの警察からご飯をご馳走になったり、夜走ってたら自転車を護衛してくれたり、そのまま次の街まで連れてってくれたり、本当に優しい人たちが多いです。

こんなに警察が優しい国なんて他にないっすね。(笑)

ラユーンの街の特徴その2!

街の建物がピンク一色!

モロッコの有名な観光地シャウエンは青一色の街で有名ですよね。

それと同じようにラユーンの街はピンク一色なんです。

サハラ砂漠の砂の色に合わせたカラーなのかな?

ピンク色のラユーンの街はオススメですよ!

非自治地域の西サハラからモーリタニアへ国境を越える

ラユーンの訪問を終え、サハラ砂漠へ突入しました、冨田隊長です。

それでは続きをどうぞ。

サラ
ところで、西サハラのラユーンの後はどこへ行く予定ですか?

Tomita隊長
モーリタニアへ行く予定です。

サラ
モーリタニアのビザは持ってますか?

Tomita隊長
もちろん持ってます!(ドヤ顔!w)

サラ
モーリタニアまでその自転車で行くつもりですか?

Tomita隊長
あ!このパターンはチュニジアの・・・。
もう失敗しないぞ!w

チュニジアで失敗した話はこちらからどうぞ。(笑)

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Tomita隊長
はい!この自転車で行きます!ちゃんとビザも宿の予約票も持ってるので大丈夫です!

Tomita隊長
今度はビザも宿の予約票もあるんだから大丈夫だろ!

サラ
はい、モーリタニアまでお気をつけて。

Tomita隊長
お!うまくいった!

サラ
あ!大切なことを言い忘れてました。
モーリタニアとの国境には鉄線と数万発の地雷が埋設されているのでご注意してくださいね。ふふふ

そりゃ、入国拒否より怖いっす、お姉さん。。。汗

まとめ

はい!

最後の下りはコミカルにしましたが、実際西サハラとモーリタニアの国境はポリサリオ戦線との緩衝地帯を通過しなければならないので、本当に注意が必要です。

西サハラ問題について調べてみましたが、モロッコ、モーリタニア、そして当事者のポリサリオ戦線の歴史、色々ありますね〜。

未承認の地域で暮らす人々はどんな生活を送っているのか非常に興味があります。

治安問題もあるので簡単に行けないのが残念ですが、機会があれば行ってみたいです!

そんじゃ、また。