46カ国目のカナダへ来て、いろんな国を比較した結果、常識とは個人の固定概念に過ぎない。

2018年5月8日

46カ国目のカナダへ来て、いろんな国を比較した結果、常識とは個人の固定概念に過ぎない。

カナダで46カ国目となりました。46カ国の国々を見て回ると海外と言ってもそれぞれ特徴があることに気づきました。その特徴とはその国々で暮らす国民が考えている世界観、常識です。また常識という言葉は国レベルじゃないという気づきも得られました。



海外経験から考える常識とは

常識とは何なんでしょうか!?

常識・・・!?

確かに、改めて考えるとなんなんでしょうね、常識って。

そんな自分も海外へ出るまでは「常識がない」と発言したり常識だろうと頭で考えていたりしたことがありました。

でも海外へ出てから、そのような類の言葉が通じない世界に身を置いたことで常識について改めて考えてみました。

まずはいつものようにgoogle先生に常識とは何か聞いてみました。

健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。

どうやらgoogleでは健全な一般人が共通に持っている知識や思慮分別のことのようです。

まぁようは大多数の人が共有している共通の情報という感じだと思います。(笑)

例えば、リンゴを想像してください。

イメージできますよね。

そのリンゴは何色ですか?

この色が日本人であれば大体の人が赤色を想像すると思います。

この共通の概念が常識みたいな感じだと思います。

実際、リンゴは赤色でなくても存在しますが、大凡赤色のリンゴを想像すると思います。

もっと深く言えば、リンゴという名詞自体は日本人にしか伝わらない言葉の常識です。

ちょっと捻くれている考えかもしれませんが、リンゴという単語自体も勝手に当たり前と思ってる常識なんですね。

つまり無意識の先入観である当たり前と思うことが常識なんです!

ではなぜ常識が必要なのか

常識がなぜ必要なのか考えてみました。

先ほどのリンゴの話ですが、別にリンゴをナシと呼んでも構わないのです。

でもナシという認識は他の果物で共有されている常識です。

したがって、リンゴをナシと呼ぶことは他の人を勘違いさせてしまうし、誰も理解してくれないと思います。(笑)

常識の存在意義とは情報共有が安易にできる方法

つまりリンゴといえば具体的に赤くて、丸い果物と説明せずともイメージできる言葉が常識となるわけですね。

その共通認識が安易にできる便利な常識をなぜ疑うのか?

ここらからが本題ですが、常識を疑えとよく言われますよね。

この常識を疑えって凄い難しいですよね。

だって、当たり前を疑えってことですから。(笑)

常識を疑うとはなぜなのか海外の経験より考えてみました。

常識って当たり前?

当たり前という言葉の裏には常識だからという言葉があります。

でも海外へ出てみると当たり前とされる常識が全く異なるんですね。

常識が異なるってなに?

常識が異なるとどうなるの?

と思われる方も多いと思います。

常識という枠が異なるだけで全く人生が変わると言っても過言ではないと思います。

では、実体験からどれくらい常識が人を無意識に支配しているか考えてみたいと思います。

常識がどれだけ自分を作っているか世界を見て観察した結果

まず特徴的な国の常識を元に日本の一般的な常識と呼ばれる行動と比較してみたいと思います。

日本では廃品回収の日に大量の粗大ゴミを出すと思います。

実際、回収日前日の夜に見渡すとものすごい綺麗な家具や家電製品がゴミ置き場に置かれているのを目の当たりにしました。

先進国、カナダやオーストラリアではこれら日本で言うところの粗大ゴミに対する常識が違います。

両方の国ではクラシファイドサイトと呼ばれる生活に便利なサイトが一般的に普及しています。

クラシファイドサイトについては以前に記事に書きましたので、こちらを参考にどうぞ。

カナダやオーストラリアでは粗大ゴミはゴミという認識ではなく、個人売買の対象となる常識があるんですね。

正直、こんなの誰も買わないだろうってほどの車や自転車だったり鉄くずにしか見えないものも出品されてます。(笑)

鉄くずに値札をつけるって凄くないですか?

これがクラシファイドサイトが充実したカナダやオーストラリアの常識なんです。

日本でも最近は個人売買が流行ってきましたが、それでもまだ普及率はカナダやオーストラリアほど高くありません。

それに品質の面で圧倒的な常識の違いがあります。

これは本当に常識が違うからだと思います。

日本人の自分でもオーストラリアへ行けば15年落ちの車でも1000ドルで売ろうという気持ちになりました。(笑)

それはオーストラリアの常識がそうだからです。

でも日本でそんなことしようとは思いません。(笑)

それは日本の常識がそうでないからです。

フィリピンではカラオケが大好きでどんなボロい家でもジュークボックスがあります。

信じられないですよね。

そこにお金かけるなら他のところへお金かけたら?

なんて思うのは余計なお世話で、彼らにとっては立派な家よりジュークボックスなんです。(笑)

それは自分が日本人の常識という物差しでみてるからに過ぎないからです。

フィリピン人達は歌を愛してる民族と言っていいほど大好きです。

だから家がボロくても頑張って音響には力を入れます。(笑)

これはフィリピン人にとって常識なんです。

だから彼らからすれば日本人は静かな民族だと思われるみたいですね。

それが日本人の良さ!だと思いますが。

フィリピン人の特徴については以前の記事で書きましたので、参考にどうぞ。

またお風呂の常識も国によって違います。

日本では湯船があるのが当たり前ですよね。

これが日本人の常識なんです。

お風呂に湯船があるって日本人が勝手に思い込んでる常識なんですね。

パプアニューギニアではお風呂に湯船はありません。

というか湯船は世界的にみてもごく僅かな国にしかありません。

そしてパプアニューギニアの田舎での常識は全く違うんです。

川で沐浴することがお風呂に入るという常識なんです。(笑)

これはパプアニューギニアが貧乏からという経済的な理由を言いたいのではなくて、パプアニューギニア人は川で体を洗うという行為を常識としているんです。

パプアニューギニアについては以前の記事でかきましたので、よければ参考にどうぞ。

常識とは自分が勝手に当たり前と思い込んでるもの

常識だと思ってることって実は自分が勝手に思い込んでることに過ぎない!

って気づきました。(笑)

国が違っても同じ人間ですから、暑い、寒い、不便、快適などの感覚は当然あります。

でも生まれた時からその環境にいれば、その環境が与える当たり前になるんだなって。

当たり前は実は全世界に共通するものでなく。

自分が生まれて育った環境から勝手に刷り込まれた感覚にすぎない。

それを簡潔にまとめた言葉が常識なんだ!

とスッキリ解決したわけです。(笑)

なぜ日本人は常識を意識する癖があるのか?

日本は世界的に見ても非常にユニークな存在だと思います。

友達のスイス人も言ってましたが、人口が1億以上いる国で、ここまで統一できている国は他にないと言ってます。

確かにその通りなんですよ。

日本より人口の多い国では多言語、他民族国家しかありません。(アメリカとかインドとか中国とか)

日本より一人当たりのGDPの高い国は面積が小さく人口が低い国が多いんです。(シンガポールや香港、カタールとか)

つまり単一言語、民族、かつGDPが世界一高い国は日本なんですね。

それくらい日本はすごいんです。

さて、話を戻しますが、このすごい日本の社会性が常識を固定させてる原因だと思いました。

他の国では違う常識が身近にあるんです。

でも日本は単一言語で単一民族国家なので違いをあまり好まない社会性だと思います。

従って、常識という言葉が非常に悪い方向(固定的)に蔓延していると思うんですね。

そして最大の気づき!

それは違いは国家レベルでなく個人レベルでも違うという点です。

これは以前ヒッピー文化に触れた時に書いた記事でも書きましたが、同じ日本人でも全く異なる考えを持つ自称うんこと名乗るPooさんとの対話でなおさらわかりました。よければ参考にどうぞ。

つまり普段から思ってる常識とか当たり前って隣の人や今近くにいる人からすれば全く違った世界観だったりするんですね。

まとめ

日本人が最も気にしてしまう常識、それは自分が勝手に思い込んでる観念に過ぎないという事実に気づきました。

海外でたくさんの人たちに出会って常識という言葉に支配されて自分を押し殺すのは非常に残念だなと思ってしまいました。

社会とは共同体の生活なのである程度常識という言葉が必要とされるとは思います。

でも、なんだろう常識?

と思ったら、それを疑わずに突き進めてみてみるとハッと気づかされたりします。

海外に行けば嫌でも常識なんて言葉の意味の無さを知れますしね。(笑)

そんじゃ、また。